風と水の道(その1)

今日、28日は久しぶりに予定のない休日です。

と言っても、9月の連休に某学会のシンポジウムに出ることになりまして、朝からデータの整理やらスライドつくりやらやっていたわけですが...。

集中力がそんなに続くわけもなく、息抜きにふらっとこの前下草刈りをしたエリアを見に行きました。

前回の活動のテーマは「風の草刈り」ということでしたが、さてさて。 

風の草刈り

僕が「風の草刈り」という言葉を知ったのは「杜人」という映画から。確か去年の冬だった気がします。

その時は「ふ~ん、そんなものかぁ」くらいに思っていたのですが、山や森の姿を見ているうちに「やっぱりそうか!」に変わってきました。

その映画で矢野智徳という人が言っていたことと、森を見た僕の直観をまとめただけですので、この話が正解かどうかはわかりませんので、悪しからず。

そもそも、なぜ「風の草刈り」と言うのかというと…

何も手を加えなくても植生豊かで藪が見当たらないような草原ってありますよね。森も同じで、誰も世話してないのに木が喧嘩せずに育っているようなところ。

何がそうさせているかというと、ひとつは風なんです。

ここは風の子太陽の子広場の管理棟から東に向かう遊歩道です。

すっと伸びた枝が風に揺れています。

よく見てると揺れの根元が見えてきませんか?

ここです。

手で振ってみるとよくわかります。

風が吹くとここでポキンと折れるわけですね。草も同じ。風によって草木が適度に刈られるわけです。

そんな絶妙のバランスが保たれている場所は、木や草が喧嘩しあって密生してしまうことはありません。

ところが、何かの拍子でバランスが崩れ藪が発生してしまうと風が止まります。風が止まったせいで刈られることのなくなった草木は、他の植物と喧嘩しあって強いものだけが生き残ったり、絡み合って一層藪を作り風を止めてしまうという悪循環に陥ります。

そのような場所の自然の絶妙なバランスを取り戻すため、風の真似をして草を刈っていくから「風の草刈り」というわけです。

生長点を切って草の勢いを殺すのは手段のひとつってことですね。

さてさて、着きました。

前回の活動場所はこの下の斜面です。

少し下ったところですが...

ん~、若干刈りすぎかも(^^;
風が迷ってしまいそうですね。

単なる比喩ではなくて、高低差のある草木の隙間を流れた風は壁にぶつかって渦を作ります。その渦が草を刈っていきます。風が迷うような地面だと風は表面をなめるように流れてしまいます。

まぁ、夢中になるとついやりすぎちゃいますからね。これはこれで良しです。少なくとも、見た目にはスッキリしましたし。

これは、反対側の斜面です。人手が少なかった方。

何本か道のようなものが通っているのがわかりますか?

こんな感じですね。

もともとあった風の道です。一部草を刈って広げてあります。風が迷わず通ってくれそうですが、まだまだ通りにくそうです。

こういう道は、地面のくぼんだ所にできやすいんです。地面が低けりゃ、草のてっぺんも周りより低くなります。

そして、くぼんだ所は水の通り道にもなります。雨が降るとくぼみに水が流れ込み、下流へ下ります。

水の通り道と言ってもコンクリートで固められているわけではないから、当然地面に水は浸透していきます。

くぼみに沿って浸透した水は重力でゆっくりと下り、地下水脈になります。

つまり、自然状態では風の道と水脈は一致することが多いんです。

水脈の上を風が通ると地面が乾き、毛細管現象で地下の水が引き上げられます。地下の水が上下に動かされながら下流へ動いていきます。

ぬかるみが元に戻ります。

森林の整備をやっていると日当たりばかり気になりますが、水と風の働きも気にしてみてはいかがでしょうか。

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