『私が山に入るワケ?…亡き父を思う』(会員の S.Nobuoさんからの投稿です)

1、父との思い出
暑かったこの夏、父は95歳で亡くなった。この3年は認知症で介護施設に入り、最後は老衰で大
往生だった。馴染みの作業帽と作業服、地下足袋を履き、ナタを腰に巻いて90歳近くまで野良仕事
をした父は、写真の中で微笑んでいる。
父の仕事に、山の恵みは不可欠だった。酪農業で家族を支え、牛小屋の修繕に必要な木材を山か
ら伐り出した。子どものころ、冬になると山に入って背負い籠に枯葉を集めさせられ、牛の寝床に
すいたことを思い出す。コメ作りでは、刈った稲を天日干しする稲架(ハサ)架けに、手ごろな丸
太を山に入って伐り出したこともあった。台風で稲架が倒され、二人で夜を徹して月明かりを頼り
に、水に浸かった稲束を一つひとつかけ直したことを思い出す。あの時見た流れ星を鮮明に覚えて
いる。
父は代々続いた古い藁ぶき屋根の家を壊し、新しく家を建てた。和風建築を自分で研究し、大工
さんに自分の山の木を多く使ってもらうようにした。仲間とチェーンソーで木を伐り、チルホール
でけん引し、ワイヤーロープの滑車で谷あいを運び出すのを、高校生のころよく手伝わされた。
作業は体の正面で、丸太は力任せに動かすのでなくテコの原理を使うこと、丸いものは転がせば
よいなど、言葉少なに話してくれたことを思い出す。小柄ながら、体をうまく使って重いものを運
び、器用に仕事をする人だった。
2、森林ボランティア活動でわかったこと
森林ボランティアに昨年から参加し、改めて知ることが多くある。山仕事を手伝った経験がある
とは言え、実際に道具を使ってやってみると全くうまくいかない。安全作業の大切さも痛感する。
父から「トンガァ」を持ってくるように言われ、モノはわかるが変な名前とずっと不思議だった
。「トウクワ(唐鍬)」のことだと知り、長い間の疑問が解けて思わず笑ってしまった。
シイタケ栽培を初めてやってみた。森林ボランティアで学んだことを自作したが、難しかった。
樹種を間違う、手ノコで伐り倒したが掛かり木に四苦八苦、道路まで汗だくで引きずり下ろした。
ホダ場は父が植樹した枝垂れ桜の下にした。父は何と言うだろう?自分で考えてやってみろ、かな
。


3、私が山に入るワケ
私は、父の仕事を継ぐことなくサラリーマン人生を送った。山仕事、畑仕事を父から詳しく教え
てもらうこともなかった。波乱万丈?の会社生活を終えた今、なぜか野菜を作り、山に入ろうと思
うのは、昔の思い出やなつかしさに惹かれるからだと思う。生きるための仕事に関わると、心が安
心するのかもしれない。
このごろ自分の家の裏山に入ることが多くなった。ナラ枯れの被害が見つかり、先祖から受け継
いだ自然を大事にと考える。チェーンソーの技術を身に着け、荒れた山を整理したいと思う。大き
な木を前にし、きっと神様がいて私たちを見守ってくれているのだろうと、思わず手を合わせた。
4、まじめな父の天然ボケを最後に
私が森林ボランティア活動に参加していることを、父はわからなかった。認知症になる前であっ
たら、きっといろいろなことを話してくれたろうなあと思う。道具の使い方、青梅の山のこと、郷
土の歴史などきっと嬉しそうに教えてくれたと思う。
最後にまじめな父の天然のボケを。長女が生まれた2月は、牛のお産が続いていた。長女が生ま
れる日の前後で、牛の赤ちゃんも数頭出産予定だった。朝早く妻が破水し、私は慌てて父に伝える
と「どの牛だ?」と飛び起きた。「今日は人間だよ!」のやりとりは、父らしい一コマだった。
四十九日法要も終え、父は里山近くのお墓に入った。ホットした反面、やはりさみしさは募る。